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5周年記念誌への感想社会福祉法人 ひょうご聴覚障害者福祉事業協会 

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負けへんで!vol.4 開所5周年記念誌(単行本)チラシをダウンロード


葛西 みつ子 (青森県)

 皆が生き生きと、できる事を通じて生活されている様子がよく見えた気がしました。
 会話が大事と言っているわりに会話を粗末にした地域のあり方に疑問を持っていたので、勇気をもらえました。
 特養が独立したものでなく、地域にとけこみ、また、聴者、健聴者が一緒に生活を送る、私にとって理想の施設のあり様への活動は大変力強く参考になりました。勉強したいです。

2013.1.29記


渡辺 礼子 (山口県)

 戦前戦後のろう者の差別の中でたくましく生きてこられた事に感激しました。現在すべてが豊かになって来た現在、福祉にも力を入れて取り組まれていますが、ふくろうの郷のような暖かい場所はないように思います。ご苦労の程が伝わって来て、地方にもこのような施設が出来るのを望みます。

2012.02記


森 節子 (兵庫手話通訳問題研究会)

 何度も読み返しました。差別を受け虐げられた時代を生き抜いてこられたろう高齢者の方々が、ふくろうの郷に入所して介助を受けるだけでなく、ご自身を語られ、学びの喜びを知り、働き、生き生きと暮らしておられる姿に胸が熱くなりました。 私自身、つらい思いで立ち止まっていましたが、入所者のみなさんから”生きる力“を学び、元気をいただきました。
 ふくろうの郷では「自治会活動」「ふくろう工房」「ふくろう大学」「ゆったり寛ぐ」の四つの柱を基に職員の方々が、入所者のお一人おひとりの人生に寄り添い、その人が一番望んでいることは何か、その為には何ができるのかを試行錯誤しながら頑張っておられます。実現できないかもしれないと思い込むのではなく、努力してカベを取り除いていくという職員のお話に共感しました。
地域と一体になって取り組んでいるふくろうの郷のような老人ホームが私の地域にも欲しい!みんなでつくりたい!とこの本を読んで強く思いました。

2012.01記


柳原 孝子 (兵庫手話通訳問題研究会)

 この感想文の依頼を頂いた時、感じることもいろいろあったのですぐにでも書けると思った。ところが、いざ書き出そうとするとなかなかまとまらない。借り物のようなフレーズであふれた自分の文章を読み返しては、何か違うよなあ…と。
この時代にまだこれほどの人権侵害があったのだという事実。そんなこれまでの人生を受け止め、ひたすら生きてきた人々が、今、ふくろうの郷で生き生きと暮されている様子が体験談を読んでいると伝わってくる。そこから、何を学ぶのか…。
「『ふくろうの郷』ができてよかった。」で終わらせてはいけない。程度の差はあれ、今もなお、このような人権侵害や差別の芽は形を変えて残っている。私たちはそれをしっかりと感じなければいけない。そんな身近なところから「運動」につながるのだろうなと思う。「共にある」ことなど聞こえる私にはそう容易くはできないと知りながら、なお、そうありたいと願いつつ。
建設運動の頃にはまだ手話を始めていなかった方は特に、この記念誌を読んでほしい。そして、感じたことを文章化するプロセスを体験してみて下さい。それはきっと、自分をも見つめることになるはずだから。

2012.01記


池内 春樹 (兵庫県保険医協会 理事長)

 今年も障害者の夢を乗せ、フレンドシップトレイン「ひまわり号」が走ります。10月30日、京都山城多賀フルーツラインでのみかん狩りです。ボランティア参加と募金にご協力ください。
 ボランティア元年といわれた阪神・淡路大震災から16年が経過しました。3月11日には、大きな津波と福島原発事故を伴う東日本大震災が発生し、全国からボランティアが集まっています。
 今、特別養護老人ホーム・淡路ふくろうの郷開所5周年記念誌「地域で生きる 暮らしをつくる」を読んでいます。ふくろうの郷の基本理念は「一人ひとりを大切に=人権 共に生きる=共生」の実践です。
 本誌では、聴覚障害者や盲ろう二重の障害者の方々が必死に生きてこられた様子が語られています。施設看護師の方は「聾唖のために意思疎通困難」などの診療情報提供書の記述について「果たしてコミュニケーションが困難なのは、本当にろう者の方でしょうか。ろう者のせいにしてしまっていいのでしょうか」と訴えられています。
 健常者も病気、事故、加齢によって身体の機能が失われます。障害者が笑える街は、健常者も笑える街です。「がんばってきてよかった」と言える故郷を作るため、共に学ぶために、みんなでボランティア活動に参加しましょう。

2011.12記


三根 一乘 (社団法人 洲本市医師会 前会長)

 聴覚障害者に配慮した特別養護老人ホーム「淡路ふくろうの郷」(洲本市中川原町)は、2006年4月開設後、順調な運営のもとに5周年を迎えました。
 5億円の施設建設募金運動では、医師・歯科医師の皆様のご協力(700人超、2000万円超)に改めて深くお礼申し上げます。
 「淡路ふくろうの郷」は、5億円の募金運動だけでなく、その後の法人理事会と施設運営でも、聴覚障害者が中心となり、施設長の大矢暹さんも聴覚障害者です。また、入所者の多数が重度の聴覚障害者で占められ、職員としても多くの聴覚障害者が健聴者職員とともに働いています。
 聴覚障害者自身が建設し運営する施設は全国で数施設しかありませんが、健聴者の協力のもとに、また地域の人々の熱い支援を得て立派に運営されています。
 04年の社会福祉法人設立時に、池尻重義元保険医協会理事長が法人理事長に就任され、私は地元洲本の医師(学識経験者)の立場で理事に就任しました。
 ところが、開設が3カ月後に迫った06年1月2日に、池尻先生が間質性肺炎で急逝されたことを受け、私が急きょ理事長を引き受けることとなりました。昨年9月に理事長職を辞しましたが、引き続き理事を務めています。
 その「淡路ふくろうの郷」が「開所5周年記念誌」を発行しました。
 記念誌の冒頭には、「淡路ふくろうの郷」の入所者のいくつかのエピソードが紹介されています。
 50年間、精神病院に隔離収容されていた聴覚障害者の、奪われた人格・人権の復活物語や、戦中戦後を大阪の街の中で、仲間とともに生き抜いた人、障害者同士が結婚し、親の強制で「断種手術」を受けた人など、高齢聴覚障害者の苦難の人生が淡々と語られた「読み取り記録」には、驚嘆し感動するとともに、医師として考えさせられるものがあります。
 また、この記念誌には、「ふくろうの郷」の設立にかかわった多くの方々、運営に携わった方々が、自らの経験や思いを様々な切り口で寄稿しています。
 寄稿された多くの人の思いは、「ふくろうの郷」にかかわる中で自らの意識を高めることができたということです。かくいう私もその一人です。
 特筆すべきは、近隣の方々からの寄稿です。地元中川原地区の住民がこぞって、後援会(地域交流会)を立ち上げて、「村祭り」(だんじり訪問)や、保育所、小・中学校などとの交流を盛んに行っているなど、「ふくろうの郷」が地域にしっかりと根付いていることが報告されています。
 加えて、今年3月末で廃校になった地元・中川原中学校の跡地利用について、社会福祉法人と共同しての「中川原地区高齢者交流センター構想」が持ち上がっており、さらに大きな地域共同体の構想を目指す「ふくろうの郷」の新たな出発点が示されています。
 医師・歯科医師の皆様にも、障害者、高齢者理解の一助に、この記念誌の一読をお勧めするものです。

2011.12記


北野 雅子 (石川県聴覚障害者センター 施設長 )

 兵庫県のろうあ運動の頑張りの中でできた特別養護老人ホーム「淡路ふくろうの郷」が開所五周年を迎えました。
 入所しているろう高齢者の人生を丸ごと受け入れ、これまでの到着点と課題をまとめた記念誌が発刊されました。
 ろう夫婦が、検査と偽って断種手術をさせられた体験や、人権を威圧されてきた多くのろう者の過去を入所者自らが赤裸々に語り、『変えられる過去があるならそれを変え、今日と明日をつくってゆくために活かしたい』としているところに感動しました。
 孤独死する高齢ろう者や、阪神淡路大震災をきっかけに老人ホーム建設など新しい資源つくりに頑張った事例も。盲ろう者や高齢ろう者の支援のあり方など、石川には何が足りないか、何が必要か、新しい資源を生み出すための参考になります。

2011.11記


松宮 誠記 (守口障害者生活支援事業所「みみ」 大阪府 )

 昨年11月の全国聴覚言語障害者福祉研究交流集会で淡路ふくろうの郷を見学させていただきました。記念誌を読ませていただいて、戦中戦後を生き抜いてこられたろう高齢者の方々の大変さを改めて考えさせられました。

2011.11記


小林 武 (弁護士 沖縄県 )

 私は、施設長の大矢さんが京都府立聾学校を卒業された後、同校に教員として勤めたというご縁です。特別養護老人ホームの事業で志を貫いておられることを聴いて喜んでいました。今回、五周年記念誌に接し、まことに入所者が主人公の施設であることを強く感じました。ご発展を祈る次第です。今、私は、憲法研究者で、また、弁護士としてもわずかながら聴覚障害者問題にかかわっています。これからも努力します。

2011.10記


足立 芳子 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

第1部から
・怒りを表わしたくても怒りを表わせないろう者の苦しみ、悲しみと人権無視入所者の一人一人の歴史がこめられた一冊です。
“ろう運動の原点”は “差別をなくすこと”と大矢施設長が語っておられた これにつきると思います。
6月の佐賀で開かれた全国大会の分科会 ろう運動 パネルディスカッションで大矢施設長が述べられたことがこの記念誌を手に取りより詳しくわかりました。
・相談支援から 医務・看護から 調理から 入所者だけでなく 淡路ふくろうの郷の構成員としての職員さんの仕事や奮闘ぶりが本音で語られ興味深く読みました。とりわけ ろう調理職員の岩林寛子さんが仕事をとおして成長されたことをほほえましく思いました。
文面から調理現場で学び、悩み、頑張る様子に感銘を受けました。
“寄り添うこと”の意味をあらためて教えてもらったようです。
・表紙の先山君子さんと車椅子を押す坂林敏男さんの表現がとてもいいですね。

2011.10記


石川 利香 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

1ページ、1ページ大切に読ませてもらいました。全通研の集会でふくろうの郷を見学させて頂いた時の事を思い出ながら活字にして改めて読むと様々な心の呼びが伝わります。
利用者の方の入所前の耐え難い経験の呼びや震災なんかに負けへんでと言う奮闘の呼びが伝わりました。
特養で全室個室と聞くだけで、お1人、お1人を大切にケアされてるのではと思いながら読み終わえてより一層 それと確信出来ました。
私の知っている特養は職員不足でまるで毎日がコンベアに乗って流れ、止める暇もない様の機械的作業です。
どうしたら ふくろうの郷の様に利用者を人として見つめ、心の耳を傾けられるんでしょうか?
ふくろうの郷が全国に開所して欲しいと心から思いました。職員間の人間関係がとても良い事も感じました。そう言う特別養護老人ホームを増やしていく努力を国がもっと身近なものとして考えてもらいたいです。福祉に関わる制度を障害者の立場になって改めて頂きたいと深く思いました。

2011.10記


板垣 紀子 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

パラパラめくって、ふくろうの郷の皆さんの素敵な笑顔に魅せられました。そして読んでいくうちにその笑顔をとり戻すまでの大変な人生を知り涙ぐんでしまいました。
“高齢のろうあ者の「怒り」を受け継ぐのです・・・“という文面にこれほどの大きな仕事を成しとげられ 続けられている原点を感じました。
また ふくろうの郷へ行ってみたくなりました。

2011.10記


坂根 智恵子 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

最初にこの本を読んだ時“どうしてこんな辛い経験を語ることができるのだろう”と思いました。
しかしそれと同時に、この事実から私たちは学んでいかなくてはならないと感じました。
一人ひとりが大切にされるから自分を語ることができる。ふくろうの郷のような場所が増えていくように私も頑張ります。

2011.10記


桑谷 良子 (島根県ろうあ連盟 )

ふくろうの郷のお話をお聞きし、社会から見捨てられていたろう高齢者を施設に入所してもらい明るく楽しく生きていけるように支援され、すばらしいと思いました。
島根県にも一般の高齢施設に入所していたり、自宅で孤立されているろう高齢者がおられると思います。
そういう人たち みつけだし高齢者施設を作ることができたらいいと思います。

2011.10記


稲田 美砂子 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

先日は遠方から来て下り、ありがとうございました。
ふくろうの郷に入所されるまでのお一人お一人の経験をお聞きしながら自分の地域の高齢ろうあ者の方達の姿を思い浮かべていました。
同じように戦争中に学校を途中でやめたりされた(行けなくなった)ろうあ者、盲ろう者がおられます。
ふくろうの郷のような支援はとてもできませんが地元のろうあ者の方が、これから少しでも笑顔がふえるように、お一人お一人とむきあって接していきたいと講演から励みを得ることができました。頑張りたいです。

2011.10記


三宅 映子 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

1人1人の人権を大切にするということを改めて考えることができました。人生の最後、高齢になってから本当に楽しく生き生きと暮らすことができることこそ、人間らしく生きるということなのですね そのために聴覚障害者が安心してコミュニケーションできる場、生活環境を作っていけたらと思います。島根にも多くの“我慣している”ろうあ者がいるはずです。我慣していると気づかないでいる人達につながりと明るさと喜びが味わえるようなそんな場を作るために何かを始めることができたらと思います。そのことを具体的に話し合えるようにしたいと願います。とても感動しとても元気になれるお話しでした。ありがとうございました。

2011.10記


桑田 愛子 (全国手話通訳問題研究会 島根県支部 )

「ひとり一人を大切に」という思いをすべての出発点として、行動されて、その思いを具現化し、それでも とどまることなく進み続けておられる大矢さんのお話に、圧倒されました。兵庫の行動がなければ 社会の隅に追いやられ、誰にも気にされることなく消えてしまっていたかもしれない ろうの方たちを、人間らしい居場所を準備し、人間らしい生き方のできるように支援しておられる言葉には説得力がありました。
大矢さんの言われたように支援を必要としている高齢者の存在を確認することから、まず始めることが、今島根県がするべきことではないかと思いました。そのためにどのようにしたらよいのか皆で考えたいとも思いました。「淡路ふくろうの郷物語」には1人1人を大切にという思いがあふれていました。

2011.10記


小坂 淳子 (元・大阪健康福祉短期大学 教授)

稲刈りがはじまり季節は確実に秋を迎えていますが、毎日暑い日が続いております。先日は、思いがけなく大矢施設長にお会いすることが出来、本当にうれしかったです。
「開所5周年記念誌」を読ませていただき、凄い人がいらっしゃるのだなあ、一体どんな方だろうと思っていましたので、ご多忙の施設長にお会いできたことは、幸運でした。

 私がもっとも(!-)びっくりしたことは、家族が亡くなり、ひとりで長期にひきこもり状態であった北川さんの自宅を訪問したときのエピソードです。

―突然、部屋に入ってきた親戚の従兄弟たちやケアマネ、そして、見知らぬ人たち。何が始まるんだろうと彼は不安そうだった。警戒心むき出しの上目づかいで構える北川さん。そっと近寄り、穏やかな笑顔で語りかける大矢施設長。その途端、表情がゆるんで瞳がパッと輝いたようだ。「うん、うん」うなずきながら安堵した表情の奥に、恥ずかしそうにしながらも萩野主仕が差し出したふくろうの郷のパンフレットや生活風景の写真をじっと見入る北川さん。(「記念誌」p73)のところです。

北川さんの瞳がパッと輝くだなんて、一体どんな風にかかわられたのだろう。まるで、救世主のようではありませんか。そういう神業のような事ができる施設長に深く魅かれるものがありました。

紹介していただいた、「授業拒否」はろう者の人権宣言だと言われています。わかる授業をという要求がろう者のおかれている差別を明るみにしていくのですね。 大矢さん達の生徒会の声をきちんと受け止めた「ろうあ協会」もすごいですね。1965年の事ですね。このことをきっかけにして、1966年に「3.3声明」がだされるのですね。これらの流れがその後のろうあ運動の行政をまきこんでいく運動の発展の核になっていくものですよね。そして、ふくろうの郷にも脈々とつながっている事を感じます。

第2冊目の「聴覚障害者福祉の源流」を読ませて頂いて、一層その思いを深めることができました。いろいろあるのですが、一番印象にのこったことは、公務員研修に手話を5日間導入した点です。きこえの障害というのは、見えない障害なので、体験することがないと想像すら困難です。要求を育みながら問題を整理し、要望を運動の組織化につなげていく一連のなかでの京都のいこいの村に発展していく運動も、ふくろうの郷の実践に活かされていることも理解できました。より困難な生活課題をかかえている重複障害をもつ人たちへの手の差し伸べ方にも人として生きる権利を守ることにつながり、必然を感じます。

3冊目の「負けへんで!vol3」の「兵庫はひとつ!」でもっとも印象的な記事はやはり、募金活動をしていくそれぞれの地域での報告です。
募金は5億円ですが、何故この運動が必要なのかという思いや願いを共有し、ろう者の社会問題を考えさせられる経験になっています。ろう者自身も、募金活動をするなかで、募金をしてくれる人との関わるなかで社会とのつながりを経験しています。恐らく、初めて経験された方も多かったのではないでしょうか。つまり、恩恵の対象から権利の主体へ、期せずして、そういう変革をともなった体験だったと思います。4時間も休憩なしに立っているろう者にはげまされて、頑張れたという記事もありました。まさに“共育”です。

もう一度、開所5周年の記念誌を読ませて頂いて、ここに登場してくる入居者の実名の登場には建設運動に参加された方々の思いや背景が理解できるvol3を読ませて頂いて一層よくわかりました。この5周年の記念誌には実名で登場される方が「自分を語る」で5名、「入所されたかたを語る」が6名、「家族が語る」1名が紹介されています。実名で登場しているのです。それは、“自分のことを話してもいいんだよ”と聞き手の存在への安心感や信頼感があってこそ語れるのだと思います。一人ひとりを大切にされてきた施設の理念の具体化があります。また、「人権の担い手」としての職員の姿勢を感じさせられました。関係された方が実名で紹介しているのも同様です。家族が語るのは施設への深い信頼がなければ語ることはできないでしょう。
しかし、なぜOさんやAさんではなく、実名で登場しているのかという点です。これまでの生活を赤裸々に語ることは、他ならぬかけがえのない自分の人生は差別されてきた歴史の証言であるということです。そこには、未就学や地域でつながることができずに、人としてふつうの生活をする権利を奪われてきた事実があります。人間の尊厳を問うことです。ですから、 施設は、ろう者(入居者)を単に援助の対象者としてみるのではなく、変革主体として見ている、いわば“同志”でしょうか。

最後に人としての講演DVDを開いたのですが、残念なことに手話がわかりません。で、“通じない”悔しさを味わいました。
2006年発行の「負けへんで!vol3」の「兵庫はひとつ!」には小松博さんという法人事務局長が登場してきますが、2011年発行の開所5周年の記念誌では故人として紹介されています。惜しい方が亡くなられたのですね。大矢さんもくれぐれも御身ご自愛くださり、今後のふくろうの郷の発展のみならず、わが国の障害者福祉の発展に寄与していただけることを切にお願い申し上げたいと思っております。

2011.09記


藤井 克徳 ( きょうされん 常務理事 日本障害フォーラム幹事会 議長 )

鈴なりの証言

 淡路ふくろうの郷を訪れたのは夏も盛りに入った7月中旬だった。出された冷たい麦茶で喉を潤していると、斜め後ろから「藤井さん」と声がかかった。出迎えてくれたのは、施設長の大矢 暹さんだった。すぐさま立ち上がってぎゅっと手を握り合った(直接会うのは二度目)。
 目の見えない私は、眠っていない限り無意識のうちに五感ならぬ四感を総動員している。「見えない人にとっては耳からの情報が一番では」、こう思われるだろう。たしかに、情報の量という面では耳が断トツだ。ところが情報の質となると話は別。実は触感に勝るものはない。その点で、「握手」は大きな情報力となるのである。

 握手をした大矢さんの手は柔らかかった。ただの柔らかさではない。感触をそのまま言えば、「筋金入りの柔らかさ」、そんな風に感じた。ただし、そこには伏線があった。事前の学習が効いたように思う。前もって送ってもらった「ふくろうの郷物語」(創設5周年記念誌、270頁)が余りにも強烈で、否が応でも好奇心をかき立ててくれた。ふくろうの郷とは一体どんなところ、利用者のみなさんの暮らしぶりは、スタッフの意欲や人間観は、大矢さんたちリーダー層の人物像は、そして地域の表情は……と。到着して間もないうちに、好奇心への回答の一端を感じ取ったのだろう。だからこそ握り返されたときの一瞬の感触に「筋金入りの柔らかさ」を覚えたに違いない。

 ところで、「事前の学習」となった、「ふくろうの郷物語」であるが、簡単に触れておく。一言で言えば、一般的な創設からの節目に出される記念誌とは訳が違う。ずしりと重い証言集である。「鈴なりの証言」、こんな表現の方がぴったりかもしれない。圧巻なのは、ろう者として戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた利用者のみなさんの辛苦の体験と未来への回想である(12人)。障害のある者だけにゆるされる書き下ろし、障害のある者しか選ぶことができない言霊、これに現在のふくろうの郷の暮らしが重なっている。タテ糸が辛苦の過去とすれば、ヨコ糸が今の安らぎ、そんな風にして織りなした証言集と言えよう。さらに、ふくろうの郷の建設運動に携わった関係者や理事・職員も多数寄稿している。立場も書き方もそれぞれであるが、「ふくろう魂」は見事なまでに通底している。

 「たどり着いたところがスタート台」という言い回しがあるが、還暦や喜寿をはるかに過ぎた何人もが新たな人生のスタート台に着いている。残念ながら青春とまでは難しかろうが、奪われた人生のいくらかでも取り戻してほしい。利用者を知る者は、そして支援に携わる者は、無条件で精一杯の支え手になるべきである。と同時に、たどり着けなかった夥しい同胞にも思いを馳せてほしい。無念さをほんの少しでも共有しようとしたときに、日々の利用者への関わり方を含めて、ふくろうの郷の実践に厚みが加わることになろう。

 今、障害者権利条約が世界の障害分野の北極星として輝きを増しつつある。日本でも初の試みであるが、障害当事者が中心となって政策立案が進められている。隔世の感がある。ただし、これらも、それぞれ単独では今一つ力になりにくい。地域を舞台としながら障害当事者と共に創り上げていく実践との一体的な展開の中で、ようやく力が吹き込まれ、関係者一人ひとりの血肉となっていくことになろう。淡路ふくろうの郷もまた権利条約を裏打ちするうえでは掛け替えのない存在であり、もっともっと前進してほしい。

 充実した一泊二日だった。廃校となった地元の中川原中学校の利活用をめぐっての地元住民とふくろうの郷関係者との懇談会にも参加させてもらった。施設づくりからいよいよ郷づくりへ、新たなステージへの移行を感じさせる一コマだった。思わず心の中で「5年余でよくぞここまで……」こうつぶやいていた。帰りのバス停に送ってもらいがてら、「洲本八景」のいくつかを巡ってもらった。いつの日か、ふくろうの郷が加わっての「洲本九景になるのでは」、こんなことを想い浮かべながら瀬戸内の淡路を後にした。

2011.09記


岡本 かすみ (高知県)

私は高知のデイサービスで介護職をしています。ふくろうの郷のように、「一人ひとりを大切に」を理念に掲げているデイです。でもこの記念誌を読ませてもらい、正直自分が恥ずかしくなりました。毎日、ご利用者様に寄り添っているつもりになっているだけで、実は何もできてないんじゃないかと… ふくろうの郷のご利用者様のいきいきとした生活ぶりは、介護に携わってる者にとって憧れです。ご利用者様からキラキラした笑顔が少しでも多く引き出せるように、明日からまた頑張ります。

2011.09記


竹島 春美 (高知県)

読んでいたら亡き父を思い出してしまいました。畠ゆりこさんの病院の話、アホ、アホと言う大鋸おんちゃん。父もバカ、バカとよく言っていましたから、義晴(父の名前)もそうやったとうなずけました。ふくろうの郷の取り組みは素晴らしいです。インドのマザー・テレサの死を待つ家では、虫けらのように道端に放り出された人を救い、温かく世話をして見守り、人間として大事にされた記憶を抱いて逝くことができるようにしていると聞きます。ふくろうの郷はお年寄りのろう者を人間として尊重していて、この世に天国を見ている気がします。
又、全国の病院がふくろうの郷の医務室のようになることを強く願います。

2011.09記


上元 栄子 (手話通訳者 / 高知県)

 初めは本の厚さに、たじろいだが読み始めると 関係者の話しは勿論だが入所者の「自分を語る」は このような形で発表し記録に残す事の大切さを感じた。私たち通訳者も、ふくろうの郷建設の運動を見習い活動をすることも大きな仕事の一つだと改めて痛感した。
P3~9までの白黒写真は思わず顔が綻んだ。このような記念誌を作って頂きありがとうございました。
 私は高知のデイサービスで介護職をしています。ふくろうの郷のように、「一人ひとりを大切に」を理念に掲げているデイです。でもこの記念誌を読ませてもらい、正直自分が恥ずかしくなりました。毎日、ご利用者様に寄り添っているつもりになっているだけで、実は何もできてないんじゃないかと… ふくろうの郷のご利用者様のいきいきとした生活ぶりは、介護に携わってる者にとって憧れです。ご利用者様からキラキラした笑顔が少しでも多く引き出せるように、明日からまた頑張ります。

2011.09記


橋爪 博幸 (京都府亀岡市)

「橋爪君は老いを感じることはあるか?」
「最近、鼻毛と耳毛が長く伸びるようになったことですかね」
 1992年春、京都府綾部市に建設された特別養護老人ホームいこいの村梅の木寮、大矢所長のもとで一緒に働くことになった私との会話です。
 その年に、いこいの村がある上林(かんばやし)地域の老人クラブに大矢所長が招かれ、話に行く時のことでした。
 あれから私は眼が悪くなり、今は身障手帳3級の弱視者で、見えない人からは「見えるやんか」、見える人からは「ホンマに見えへんのか?」と言われる中途半端な視力障碍者です。
 しかし、30センチ以上離れると人の顔の判別がつかず、新聞や本を自由に読むこと、自動車の運転も出来ません。
 それでこの本を手にし読むまで、というより連れ合いに読んでもらうまで、少々時間がかかりました。
 本に付いていたDVDはテレビ画面にくっつくようにして視ました。
 久し振りの大矢さんの手話や姿に懐かしさを感じながら、ふくろうの郷のみなさんの生き生きした様子が伝わってきました。祭りの模擬店は、流石海の淡路という美味そうな魚介類の焼き物が印象的です、行きたいなと思わされました。
 本の中身で印象的なのは、そこで生活されている聴覚障害者のお年寄りの話です。
 大矢さんの言葉を借りれば、『人生を丸ごと持ち込まれる』みなさんが、ふくろうの郷での暮らしを通して『空白の人生』を埋めて『人生の姿への接近』を実践しているのがよくわかります。
 最初に語られた男性の話は戦前から今日までの人生を、言い方が良いかどうか分かりませんが、破天荒に生きた様子が生き生きと伝わってきます。子ども時代に親から離れた聴覚障害者が、本当にギリギリで生命を繋いできた話ですが、そのたくましさに思わず笑えてしまうような、まるで小説を読んでいるような気持になりました。
 これも現在ふくろうの郷で、新しい暮らしをしているという事を私が知っているから感じられることなのだと思います。そうでなければ笑える話ではありません。
 語られる手話が生き生きと目に浮かぶように、読み取り、本にされた職員のみなさんの実践力にも感銘を受けました。
 さて、私も目が不自由になってから、いこいの村の仕事から離れていましたが、4年前から、鍼・灸・あんまマッサージ指圧師として月に数日いこいの村を訪れ、いこいの村で生活している人や職員に施術をしています。
 ふくろうの郷やいこいの村の暮らしが豊かになることを願い、私も一緒に歩んでいこうと思います。

2011.09記


石野 富志三郎 (全日本ろうあ連盟 理事長 )

 断種手術、差別、拒否、孤独死、ボロボロ、最期、眠れない・・・など悲しい「ことば」がいっぱいだが、生きる、誇り、元気、出会い、人間らしく・・・など聞いてうれしくなるような「ことば」もすごくいっぱい。わたしの娘、息子とも重度重複障害者。訴えたくても訴えられない叫び声を しっかりと受け止めることこそ、人間としてのはじまり。娘、息子の気持ちよさそうな寝顔をみるたびに明日へのエネルギーが生まれる。『ふくろうの郷開所 5周年記念誌』を読むたびに新たなエネルギーがまた生まれる。是非ともお勧めしたい。淡路ふくろうの郷ファンとして。

2011.08記


近藤 幸一 ( 京都市聴覚言語障害センター 所長 )

記念誌を読んで

 大矢施設長から「感想」を求められて、二つ返事で了解しました。そして、この記念誌を、もう一度、初めから読み直して、私の手元には、朱線だらけの記念誌があります。一回目に読んだときに受けた、ある種の示唆、感動(というより今更の、衝撃)。は、やはり、本物でした。同時に、安易に「了解」してしまったことを後悔しました。感想文が書けなくなりました。
 「歴史は、ふくろうの郷になにを求めているのか、私たちは職員集団としてその歴史の求めにどれだけ応えようとしているのか」。「職員集団」を聴覚障害者福祉にまがりなりに関わってきた「自分」と置き換えてしまったからです。
 書き出した一つ一つの言葉がなんだか空虚で、やっぱり私は、この間「解釈」しかできていなかったのではないか。自分のものでない言葉ばかりがでてきます。
 私は、これまで関わってきた、いま関わっている人々に、「手に豆ができ、裂けて痛いぐらい」に真摯に向き合い「伝えよう」「わかり合おう」としてきただろうか。そして、もしかしたら、自分自身に対しても真摯に向き合ってこなかったのかもしれない。私にとって、この記録は、そんな「詰問」書でもありました。
 語られる、ふくろうの郷の生活者への権利侵害に対して、峰島氏は、生活者にとってこの事実は、「耐えるしかなかった」事実なのではなく、「耐える合理性を自分なりに創り出してきた」事実としてあるのだと。信頼を寄せています。
 確かに、その生命力、生活力のすごさに想いを馳せつつ、でも、あいまいな不安の中で「創り出さざるを得なかった」事実としても、また、あるのでないか。そうだとすれば、その圧倒的に重い、重い、事実を、彼らはどのように受け止め、折り合ってきたのだろうか。
 失われた過去を取り戻す取り組みは、そのような折り合いの付け方を共有することでもあると思う。私に、それができるだろうか。
 せめて、「権利侵害を取り戻す実践」を「制度的基礎のある支援」に高めることの一端にくわわれたらとも思うが、そんな資格がわたしにあるだろうか、問い直すことから始めなくてはならない。まるで初学者のように。でも人間であるように。

2011.08記


宍戸 仁明 ( 日本放送協会 ニュース制作センターテレビニュース部 チーフ・プロヂューサー )

 ふくろうの郷5周年記念誌を拝読させていただき、改めて「ふくろうの郷」建設に向けて、皆さんが歩まれた道のり、そして理想に向けて着実に前進している姿に胸が熱くなりました。実に多くの方々が心を一つにして取り組まれた事業なのですね。
 また文中にございました入所者の方々の生き様にも心を打たれました。戦前、戦中、戦後といかに厳しい日々を送ってこられたのか・・・。私も漠然と想像だけは出来ていたつもりでしたが、実際に体験された事実を読ませていただき、その凄まじさに息を呑む思いが致しました。
 人間が人間らしく生きていけること。当たり前のことを実現させるのが如何に難しいか、改めて痛感いたしました。
 この記念誌をいただき、小松博さんが、生前おっしゃっていたこと、そして追い求めていた夢の施設の意味が大変よくわかりました。本当に亡くなられたことが惜しまれてなりません。

 私ごとではございますが、この6月末より、NHKの手話ニュースを担当させていただいております。長年の希望が漸く叶い、念願の部署に就くことができました。私は「負けへんで」でご紹介いただいているように、阪神淡路大震災の時に小松さんをはじめ非常に多くの方に大変お世話になりました。その歳に、皆さんに対して「仕事でご恩返しをします」と申し上げたのですが、正直な所、これまで十分なお返しができていませんでした。今回の仕事を担当するにあたり、僅かながらでも皆さんのお力になれればと思っております。元より微力ではございますが、ご指導ご意見いただければ有難く存じます。

2011.07記


橘高 澤江 ( 福山の手話サ‐クル虹の会 )

 私は以前、福山ろうあ協会の方々と「ふくろうの郷」にお邪魔した事があり、懐かしい思いで冊子を手にしました。ページをめくるとそこには、入所者の方々の生きて来られた時代が浮き彫りにされた、想像を絶する1人ひとりの人生がありました。しかしながら、写真の屈託のない明るい笑顔は、施設での人権と共生の理念が映し出されていました。
 この記録は、何ものにも代えられない尊い財産となって残っていく事でしょう。

 今福山ろうあ協会においても、「老人ホ―ム」の設立が要望されています。国の厳しい規制もさる事ながら、気の遠くなる様な資金の調達は「ふくろうの郷」の決死を要する程の努力の様子からも困難を極める事必須です。
 先ずは、見た目では分らないコミュニケ―ション障害の重みを社会に理解して頂く為に、近隣地域の方々から、理解を広めていく事が大事だと思うのです。

2011.07記


服部 芳明 ( 愛知県 )

 先日、淡路ふくろうの郷を訪問した時の事を思い返しながらこの本を読んだ。入居者の笑顔、職員の若さと熱意、入居者の心に寄り添う姿勢、いつでも温かい笑顔で迎えてくれる、そんな場所だった。だが、あの入居者の笑顔の裏側には壮絶な人生があった。この本を読むと、何度も胸が苦しくなり、何度も目頭が熱くなり、何度も熱い思いが込み上げる。差別を受けた日々、無理解からの孤独、人権を無視された生活…。この本は様々な事を私たちに訴えかけている。ろう運動の原点とは?私たちの地域に同じ境遇の人がまだいるのではないか?命の重みとは?私たちにできることはなんだろう…と考えさせられる。
 大矢さんの言葉に「辛い経験を共有する。ろう運動の原点とは、差別を許せない、もう繰り返してはいけない、新しい時代を作らなければいけない、という強い気持ちです」とある。高齢ろう者の「怒り」を受け継ぎ、語り続けていく。この本はまさしく本当のろう者問題を取り上げた本だと思う。是非、たくさんの人に読んでほしい。そして、地域での取り組みに生かしてほしい。
 最後に、入居者の皆さんには淡路ふくろうの郷で過去を少しでも忘れ、人生の終盤を穏やかに過ごしてほしいと切に願う。
しかし、過去を忘れず大事にされているからこその今の穏やかさや笑顔なんだとも思う。過去とは忘れるものでなくて今に生かすもの。生かそうとしておられる姿に改めて感動させられる。
 コミュニケーションの大切さ、おもいっきり手話で話せる環境。「ふくろうの郷は大きな家族です」と言った大矢さんの言葉。ふくろうの郷は聴覚障害者にとってまさしくユートピアだ。

2011.07記


濱本 計子 ( 福山手話サークル芦の会 )

 こんにちは。福山手話サークル芦の会の濱本計子と申します。ふくろうの郷開所五周年おめでとうございます。
 記念誌を読みながら、福山に来られて施設の紹介をしてくださった日の事が浮かんできました。苦しい道、忍耐の道を歩まれた方たちの笑顔がとても眩しく思われます。そして何より地域に根ざしておられる生活は素晴らしいと感じました 。人の生き方は、人の力で変えられるものと実感しました。兵庫の力は(震災がきっかけではありますが)人の生きようとする力そのものだったのではないでしょうか。
 サークルの関わり方を考えますと、学ぶところの大きさに愕然とさせられました。いずれ老いていく私たちですが、人を思いやりながら優しい最後に出会いたいと思いました。読みながら辛くなるときもありましたが、ありがとうが沢山あって、それがあの笑顔に繋がっていると感じました。私にできることが、もう少しあるような気持ちになりました。素晴らしい物語を有難うございました。皆様お元気でお過ごしください。

2011.07記


小巻 陽子 ( 神戸市手話サークル西 )

 早速読ませてもらいました。今、私は、人生のゴールを向かえようとしている最愛の肉親とともに過ごし、人が生きることの意味を考えています。私も人生の行程をしっかり走りぬきたいと思います。畠さん、黒崎さん他、みなさんの歴史が、後を生きる私たちへのメッセージです。是非たくさんの人に読んで貰いたいと思います。

2011.07記


峰島 厚 ( 立命館大学産業社会学部 教授 ) 

 この冊子には、壮絶な人生を送ってきた人たちの過去が語られています。ふくろうの郷の実践、すなわち過去を権利侵害されてきた中でもくぐりぬけてきた人生の重みとしてとらえ、それに学びたい、それを今後も大切にして生きてもらいたいという想いの伝えあいがあったからの語りだと思います。
 いろんな人たちにぜひ読んでもらいたい、この本の何事にも代えがたい最高の価値です。
 (5周年記念誌から抜粋)


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