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設立経過社会福祉法人 ひょうご聴覚障害者福祉事業協会 

 

 昭和51年、淡路聴力障害者連絡協議会(昭和61年に淡路聴力障害者協会と名称を変更)は、「ひとりぼっちのろうあ者をなくそう」という目的で淡路島内から約30名が集まり設立されました。昭和52年に淡路で初めてくすの木学級が開催されましたが、島内には手話通訳がいないため、神戸や明石から通訳者を派遣してもらっていました。このことがきっかけで淡路島にも通訳者が必要だと痛感し、手話講習会の開催を淡路福祉事務所に要望しました。その結果、昭和54年に初めて手話奉仕員養成事業が洲本市で開催されました。修了後、その参加者から手話サークルあわじが誕生しました。

 その後も手話サークルと共に、淡路福祉事務所や洲本福祉事務所に公的手話講習会の開催を要望し、折よく洲本市がメニュー事業の手話通訳養成事業を取り上げることになりました。予算や講座の内容について打合せを行い、平成4年に開講することになりました。平成5年には、北淡路3町(旧淡路町・北淡町・東浦町)に洲本市と同様の講習会開催を要望し、平成6年に開講となり、続いて、中淡路3町(旧一宮町・五色町・津名町)にも要望した結果、平成7年に実施されることになりました。

 手話通訳養成事業にいち早く取り組んだ洲本市より、「平成7年度から手話通訳派遣事業を実施したい」と話がありました。淡路聴力障害者協会は検討委委員会の開催を要望し、手話サークル、学識経験者、行政担当者を委員として月1回、会が開かれることになりました。毎回、事前会議を開き、前回の検討委員会で折り合いのつかなかった問題について話し合いました。特に派遣地域や手話通訳派遣のコーディネーターの問題では議論が白熱しました。会議の後は焦燥感にさいなまれました。平成7年1月17日、阪神淡路大震災の起こった日は折しも7回目の検討委員会の開催日でした。朝、被害が少なかった洲本周辺は落ち着いていましたが、時間が経過し、少しずつ被害情報が入るにつれて震源地の北淡町に住むろうあ者の顔が頭に浮かび、午後に慌てて現地に行き、無事を確認しました。その後、会員・手話サークル会員が集まり安否確認のために、一軒一軒会員宅を回り救援活動を開始しました。避難所での通訳支援や入院患者の援助、被災者のための街頭募金活動、被災区での炊き出し等を行いました。このような緊急事態の中で、ボランティアでの手話通訳の限界を感じ、常勤の手話通訳者の必要性を実感しました。「洲本市内の派遣制度ではろうあ者は安心した生活が送れない。検討委員会での話し合いを白紙に戻し、島内全域で利用できる広域的な派遣制度にしたい」と洲本市に申し入れ、今後の協力を依頼しました。

 その後、センター設立に向け、1市10町の首長の理解を得るため数回に渡って島内を回り、聴覚障害者の生活上の不便を訴え続け、又、一方では聴覚障害者福祉の先進地域への見学・研修を重ね、行政にも報告をしました。いよいよ、11月のある日、開所に向けて淡路福祉事務所長と話し合いをしました。特に人件費の根拠について説明を求められたので情報提供施設職員並みの1名450万円で提示したと話しました。ところが所長は1市10町の福祉課長はろうあ者相談員の常勤設置には消極的なので人件費3名分1000万円で提案してはどうかと話されました。11月の10町の定例担当課長会の後に1市も加わりセンター設立の話し合いを行うと連絡を受けました。淡路聴力障害者協会側は、事前の模擬会議を行い、行政から質問があると予想される内容を挙げ、応え方について相談しました。当日は、総合庁舎の部屋には、1市10町の課長と県担当職員、約15名位の中に淡路聴力障害者協会からは8名が出席し会議が始まりました。しかし、会議は台本通りには進みませんでした。センター運営費の挙げた予算について1つ1つ根拠を説明しました。事業費・設備費等については概ね理解されましたが人件費のところである町の課長から「町の嘱託職員は年間180万円であり高すぎる」また、「相談員は常勤の必要性はない。相談支援事業の中から週1、2回の人件費を考えればよい」などと突然の厳しい声に驚愕しました。こちらからも「手話通訳者はボランティアではない。聞こえない自分たちの命を守る業務である。その金額での身分保障になっていない。とても生活の保障ができない。」また「相談員はいつ問題が起こるかわからず、いつでも相談できる体制が必要であり同じ障害のあるピアカウンセラーが相談しやすい。」ということを訴えましたが行政側はあくまでも「人件費は職員2名分。」を主張し平行線のまま時間が過ぎ、結局、最終的には人件費いくらかという話になりました。行政から提示された人件費、年間600万円という金額を廊下に出て話し合いを行い、再度、「職員の生活が保障できる額ではなく受託できる金額ではない。」と改めて1000万円を提示するなど緊迫したやりとりを繰り返した後、行政側は「800万円」を提示しました。このままこの会議を終了したのでは来年のセンター開所は難しくなるという思いで人件費、年間800万円でやむなく了承しました。会議が終わったのは夜8時を大きく過ぎ、脱力感だけが残る会議でした。

 その結果、洲本市が1市10町の窓口となり、国・県からの補助金を受けて平成9年6月2日淡路聴覚障害者センターが洲本市役所内にオープンしました。事業内容は手話通訳の養成、設置、派遣、聴覚障害者に関わる相談などの事業を淡路聴力障害者協会が委託を受けて運営することになりました。センターが設立に至るまでには多くの困難や挫折がありましたが、上部団体の(社)兵庫県聴覚障害者協会や兵庫手話通訳問題研究会、また福祉先進地域の方々の多大な支援が大きな力となってこの運動を続けることができました。長期間にわたる要求が震災をきっかけにして行政がその必要性を認識していただき、ようやく実現することができました。

旧淡路聴覚障害者センター
旧センター1 旧センター2

 


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